大阪生まれの不器用男が北海道で写真を撮影する何故
【My Story】
あとがき
文中に登場する私の師と、現在2024年から見て昨年、2023年に10年ぶりに再会します。北海道で撮影を行う連絡が来て、その時にアテンドをさせて頂いたのです。
私が年を取った分、師も年を取っていましたが、60歳を超えても尚、現役のフォトグラファーとして洗練された写真を撮り続ける姿に、まだまだ自分もこれからだと気を引き締め直しました。
撮影場所が江差の方面でしたので、撮影後札幌に戻る道中の数時間、いろんな話をしました。師が退社するにあたってどのような事があったのか、巨大になっていく組織を率いるプレッシャー、海外から何故神戸に戻ってきたのか、などこれまで詳しく聞けなかったことを沢山教えて頂きました。
2024年現在は6月。私は思い切ってHPを全面リニューアルをしています。このリニューアルは、人に頼まず全て自分で考えて作っています。私にはそれが必要だからと考えたからです。そして私が一番こだわった部分は、
「もう誰にも気を使わない」「恥ずかしがらずに全てをさらけ出す」という事です。
私は音楽活動で結局成功する事が出来ず、現在写真家として活動しているのですが、音楽活動で真剣に活動していた分、ずっと後ろめたさを感じて、音楽で成功できなかった自分を「恥ずかしい」と思って生きてきました。
また、東京から札幌での異動にあたり、自分の中では仕方がなかった事とは言え、特に札幌の方々に迷惑をかけてしまった事にも後ろめたさを感じながら生きてきました。
昔の音楽仲間に、音楽を辞めてしまった今の自分の姿を知られたくない、正直に言うとそんな思いもありました。
そして私がONE STORYを動かすことによって、「誰かに迷惑を掛けるのではないか」「誰かから悪口を言われるのではないか」そんな消極的で、自らの意志の弱さを他人のせいにするような、弱い自分もいました。
ですがようやくサンプル写真の準備も出来、ホームページもリニューアルできました。
このホームページは知識のないところから始めましたので、何度も何度も作り直し、一日12時間以上2か月弱かかって作成しました。何度も心が折れそうになりながら弱い自分と向き合いました。
私はもう恥ずかしがることなく、不器用でもいいので自分をさらけ出していこうと思います。
そしてより多くのお客様に、写真で「感動」「生命」「躍動」を伝えようと思っています。
音楽の様に、成功したら何百万人の人々の耳に届くような、そんな派手さはないと思いますが、一組一組のお客様に誠心誠意を込め、愛を伝えていくことが出来れば、やがてそれは静かな湖の上に、ひと雫の水滴が落ちた時の様に、波紋として優しく広がっていくだろうと信じています。
私は「写真の可能性」を信じています。
おわり
2018年以降から現在2024年の6年間も、様々な出来事がありましたが、ここから先のお話は、何年後になるのか分かりませんが、また折をみて書こうと思います。
ここまで訳の分からない拙い長文を読んで頂き、本当に感謝申し上げます。
ここまで読んでくれたあなたは本当に優しい人だと思います。
ありがとうございます。
「私のレシピ」は、これまでの人生の思いを集約したまとめです。