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大阪生まれの不器用男が北海道で写真を撮影する何故

【My Story】

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episode:2 高校生活

 

私が通っていた高校は、地元でもかなり成績の悪い学校でしたが、母親からはとにかく高校だけには行きなさいと塾に通わされ、何とか合格できたのです。今思えば感謝しかありません。

私が入学した一番の目的は「軽音楽部」に入る事で、他の部活の勧誘に目もくれることなく迷わず入部しました。

その軽音楽部では心から友と呼べる沢山の仲間と出会います。毎日楽器の練習して、毎日遊び、心から笑い、感動を共有する。振り返ればそれは私にとっての青春だったと思います。

高校一年生の時からヤマハのTeens music Festivalに参加し、その時は地区大会まで勝ち進み、今ではとても有名になったaikoさんと地区大会で一緒になります。aikoさんはそのまま全国大会で優勝しました。当時15,6歳だった私からすれば、当時19歳だったaikoさんはとても大人に見え、その頃から今の様なオーラをまとい、本当にすごい人でした。

 

高校2年生になる頃には、恥ずかしながら学校の勉強はほぼしなくなり、テスト前だけ徹夜で試験勉強をして留年を回避するような、いわゆる不良学生になりました。

 

そしてその高校2年生の時に、あるバンドのメンバーと運命的な出会いを果たします。

一つ下の学年のボーカル志望で入部した彼は、歌がめっぽう上手なのはさる事ながら、優しく仲間思い、そしてイケメン。そんな彼をバンドに誘い、バンド練習に没頭します。

来る日も来る日もバンド練習に明け暮れて、クーラーのない真夏の部室で汗だくになりながら曲の練習。耐えられない位暑くても、音楽の練習なら全くへっちゃら。

バンド練習以外と言えば、夜通し遊びまわり、家にも帰らず、バイトもして、学校には軽音だけに行く。地獄の中学一年と比べれば全てがキラキラした天国の様な毎日でした。

 

バンド練習はまじめにやっていたものの、他は良からぬ行いばかり。私にとっては心から楽しく、青春の日々でしたが、両親からすれば心配でたまらなかったのではないかと、今自分自身が高校生を子供を持つようになって初めてそう思います。

当時学生としては不真面目でしたが、軽音楽部の仲間たちと過ごした日々は今ではかけがえのない思い出になっています。

 

そして高校3年生になり、ライブ活動をコピーバンドではありましたが、頻繁に行うようになり、いつしかその彼と一緒にプロミュージシャンを目指すことを夢見るようになりました。

バンド活動を重ねる毎に未熟ながらではあるものの自信を深めていきます。

その当時は、私の年代の人は知ってるであろう、Boowy、ZIGGY、The yellow monkey、BUCK-TICK、Luna sea、黒夢、ユニコーン、Deep purple、ヴァンヘイレン、アイアンメイデン、KISS、ブルーハーツ、JUDY AND MARYなど、バラバラですがそんなバンドのコピーをしていました。

中でもZIGGYのコピーを中心にライブ活動を行い、ZIGGYは私の憧れのバンドになります。

 

学園祭に命を掛けるような高校生活で、私はドラムで出演していましたが、別のバンドからボーカルがいないからその時だけでもいいから学園祭で歌って欲しいと言われ、洋楽のMr.BIGを学園祭で歌った事が今では懐かしいです。

中学時代のいじめっ子たちとも高校が同じで、洋楽を学園祭でノリノリで歌う私の姿を見て目が点になっていた事も微笑ましい出来事でした。

ステージの後は勘違いしてドラムのスティックにサインを書いて後輩たちに配っていたことが今では笑い話です。

 

そして私は学園祭の後に夜通し打ち上げ、その後良からぬ体調不良で3日間学校を休むような、そんな不良学生でした。

 

そんな中、その後の私の人生を大きく揺るがす事件が起きます。

私が運命の出会いを感じ、一緒にバンドをやるようになったボーカルの彼が、掛け持ちでやっていたバンドの練習の帰り、深夜にバイクの交通事故で急死したのです。

 

私は彼とはその事故が起きるほんの数時間前まで一緒に遊んでいたのですが、私はその事を翌朝知る事になります。

その事を先に聞いた友人が学校で嗚咽をしながら泣いている姿を見つけます。理由を聞いても彼の名前を言うだけで何の事なのか分かりません。ただならぬ事が起きている事だけは理解して、先に事情を聞いた別の友人に訊ねたところ、交通事故の話を聞きます。

 

私達は自体が飲み込めないまま、彼と対面します。多くの友人がそうであったように、私も人生で初めてのお葬式への参列が親友のお葬式になってしまったのです。親友のお葬式はまだ厳しい残暑の残る暑い日で、信じられない位澄み渡った青空の元で行われました。私はその信じられない位の青空が今でも目に焼き付いて離れません。

 

私達軽音楽部の仲間は、それからどうしていいのか分からないのもあったと思いますが、彼の家に度々集まるようになりました。彼のお母さんは本当に優しいお母さんで、本当は私達の姿を見るのも辛かったのではと思いましたが、お母さんはいつも優しく私達を迎え入れてくれました。

そこで私が彼のお母さんから聞いたのが、彼が中学生の時に壮絶ないじめを受けていた事でした。

私が受けていたいじめが可愛く思えるような内容で、明るい彼からはそんな事があったとは微塵も感じませんでしたが、彼から感じた優しく仲間思いなところは、そんな経験があったからだったのかもしれません。

彼はようやく高校生活で今までの苦しみから解放されたのに、こんな事になってしまうとは、「この世に神はいないのか」と心の中でそう思っていました。

 

そして私は心に大きな穴が空いたまま高校生活を終えることになります。

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