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大阪生まれの不器用男が北海道で写真を撮影する何故

【My Story】

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episode:3 埋められない心の穴

 

目標を失ってしまった私達は、各々が別のバンド活動を始める事になります。

私はもっとドラムの技術を磨くために、一年間のバイト生活の後に神戸にある本格的な音楽の専門学校に進みます。

中学、高校と、あれだけ勉強をしなかった私は、専門学校に入学した後は別人のように音楽の勉強を始め、入学してから卒業するまでの間、常に上位に成績を残せるようになりました。

専門学校ではそれまでの日本のバンドのコピー音楽ではなく、ジャズやフュージョンなどのテクニカルな演奏に励み、小難しい音楽理論やイヤートレーニングなども学びました。

 

本来であればこのまま専門的な音楽の道を歩み、プロのスタジオミュージシャン、音楽の講師、音楽大学への留学などが選択肢としてありましたが、私の中ではどうしてもバンドでのプロミュージシャンへの道を諦めることが出来ず、音楽学校卒業後はまたバンドの世界に戻る事を選択します。

 

そんな中、またもや事件が起きます。

高校時代の同じ軽音楽部のバンド仲間でもあった友人の彼女が、交通事故で亡くなったのです。私は彼とその彼女と一緒に遊ぶ機会が多く、邪魔しちゃいけないなと思いながらもよく3人で一緒に遊んでいました。私は彼からの電話で病院に急行して、夜通し回復を祈り続けましたが祈りは届きませんでした。私達は3年間で2人も大切な人を失ったのです。

 

こんな悲劇的な出来事が立て続けに起こり、私はやはりバンドでのプロミュージシャンになる決意をします。多い時で10個くらいの掛け持ちでバンド活動を行うようになり、大阪市内を中心に、オリジナルの楽曲で活動して、CDの販売も行うインディーズのミュージシャンになります。その中のバンドの一つに、高校の時に亡くなった親友の当時の彼女が、意を決してボーカルを始めたバンドがあり、私はそのバンドに心血を注ぐようになります。

いつしかこのバンドで親友と一緒に成し遂げられなかった思いを果たそうと、真剣に取り組みます。

大阪のローカルラジオに出演したり、東京の音楽事務所からも声がかかるようになり、当時21歳だった私はこのままプロのミュージシャンになれるかもしれないと思うようになりました。

 

しかし私は不真面目な高校生活とは打って変わって、音楽に関わる事となると真剣になりすぎるようになりました。いわゆる完璧主義に近いような状態で、バンドメンバーの私生活にも口を出すようになり、今思えばそんな事はほっとけば良いような事を、その当時の自分には許す事が出来ず、さんざん酷い文句を言った後にそのバンドを脱退する事になります。

すぐに何故あんなに酷い事を言ってしまったのだと後悔しましたが、もう後には戻れませんでした。

 

そしてそこから私の流浪が始まります。

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