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大阪生まれの不器用男が北海道で写真を撮影する何故

【My Story】

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episode:5 売れないバンドマン生活と結婚、写真との出会い

 

私がバンド活動をまた始めるきっかけになったのは、あるバンドからの誘いでした。

大阪でバンド活動をしていた当時、インディーズのロックバンドの中ではかなり有名で、何年か前にB’zの元プロデューサーのもと華々しくデビューしたのは知っていましたが、そのバンドからの誘いでした。

昔大阪で掛け持ちで参加していたロックバンドのメンバーからの呼びかけだったのです。

そのバンドが解散して新しくバンドメンバーを探しているとの事。

しばらくバンド活動から遠ざかっていたものの、またとないチャンスと感じバンドに参加する事にしました。

 

しかしいくらそのバンドメンバーが過去にメジャーデビューの経験があったとはいえ、それだけで集客するのは難しく、ライブのチケットは売れなければ自腹、バンド練習のスタジオレンタル費はなかなかの高額で、バイトとバンド練習に明け暮れる日々が続きます。

 

東京や横浜の様々なライブハウスでライブ活動を行い、昼は高層ビルの窓掃除の仕事、夜は居酒屋で掛け持ちのバイトで、ギリギリの生活。

バイト先では、東京で夢を追いかける沢山の仲間と出会いました。切磋琢磨とは正にこの事だと肌で感じます。

 

一般的に見るとバンドマンは不真面目の塊のようなイメージがあるかと思いますが、東京で夢を追いかけているバンドマンはみんながそうではないと思いますが、曲作りの際、うまくいかない時は一触即発の中、かなりピリピリしながら曲作りをします。

ゼロから一を作る作業は本当に骨が折れます。飲みの席では殴り合いのけんかになる事も・・

 

そうしたバンド活動の中、そのバンドで未来が見いだせなくなり脱退、すぐに別のバンドに加入します。その別のバンドはギタリストが専門学生時代の同級生で、メジャーデビュー直前までいっていたのですが、急遽ドラマーの脱退により声がかかりました。

そのバンドでも今まで同様売れないバンド活動が続きます。

 

そうしたバンド活動の中で私が気付いたのは、「自分たちが作った音楽で沢山の人々に感動して欲しい」という自分の気持ちでした。今までの人生で紆余曲折を経験した中、たどり着いたのが「感動」だったのです。音楽であれば何万人、何百万人の人々の心を動かせる、とそう信じていました。

しかし、曲作りや歌詞というのは難しいもので、私がドラマーとして携わってきた楽曲はどれも「感動」とは少し違う位置にあるように感じていました。どういう訳か納得が出来ません。楽曲も難解なものが多く次第にバンドメンバーとぶつかる事も増え、バンド活動にストレスを感じるようになります。

 

ちょうどその頃から、私は携帯やデジカメで写真を撮る事にはまり始めます。風景写真を撮影してはフォトショップで加工するなど、どちらかというとアートよりな作風です。

「今しかない瞬間」を切り取り、そこに「今の自分の気持ち」をかけ合わせ、加工してアートにする。しかしこの時は本当にただの趣味で、今の様な仕事になるとは夢にも思っていなかったわけです。

 

ですが今思えば、この時が写真家としてのスタートだった気がしています。

 

また、この頃私にとってはとても嬉しい出来事がありました。

私がまたドラマーとして活動する際に声を掛けてくれた大阪時代のバンドメンバーが結婚するとの事で、六本木のライブハウスで披露宴をするから出演してほしいとの事。

そしてその披露宴には、私の高校時代憧れてやまなかったZiggyのボーカリストの森重樹一さんも出演する事を聞きます。私は憧れのアーティストと同じステージに出演する事が出来たのです。

そして私はその時に憧れが強すぎて、連絡先の交換をお願いしてしまいます。森重さんは快く連絡先を交換してくれましたが、ですがまあ、自分から連絡出来る訳もなく、関係はそこで終わります。私はそれでも十分満足でした。

 

しかしその後偶然としては出来過ぎている出会いがすぐに訪れます。

私は当時バンドをやりながら恵比寿の居酒屋でバイトをしていて、仕事の合間、恵比寿の駅前を通る事が多かったのです。

そこでドラマや漫画で出てきそうな出会いのシーンに遭遇します。

駅前の銀行のビルの角、いわゆる「街角」で前から来た人にぶつかりそうになり、「危な」と思って立ち止まって前を見てみると、そのぶつかりそうになった相手は森重さんだったのです。恵比寿に住んでいる事はなんとなく知っていましたが、まさかこんな出会い方をするとは夢にも思いませんでした。

 

私はびっくりしすぎてしばらく目が点になったのですが、これは何かアクションを起こさなくてはいけないと思い、思い切って飲みに誘ったのです。

森重さんは本当に優しく、無名のバンドマンと飲みに行く暇などないであろうにも関わらず快諾してくれたのです。

 

後日恵比寿の居酒屋で飲むことになりますが、やはりイメージ通り森重さんはお酒がとても強くて、ビールとジャックダニエルを一緒に飲みました。

 

やはりメジャーで有名なアーティストは、見た目とは違い、普段からとてもストイックで、走り込みや筋力トレーニング、ボイストレーニングを毎日行っている事を聞きます。

 

私は飲み過ぎたのと、緊張しすぎて何を話したかあまり覚えていませんが、高校時代に事故で亡くなったバンドメンバーの話、そしてその時にZiggyのコピーバンドをやっていた事、大阪時代から上京後の事を話したと思います。

その後、森重さんとの関係は発展する事はありませんでしたが、この出来過ぎた偶然の出会いは神様から頂いた人生のご褒美だったのだと感じました。

亡くなった親友がこの光景を天国から見ていればさぞ喜んだのではないかと思いました。


 

そしてその頃のもう一つの運命的な出会いが妻との出会いです。

次第に膨らむバンド活動のストレスの中、中野の一軒家でシェアハウスに住んでる友人の家で、妻に出会うのです。その家にはミュージシャン、美容師、ヘアメイクアーティストなど様々な駆け出しの若者が沢山遊びに来ていて、その家に遊びに通うようになります。

今までの冴えない自分の人生の中に比べて、そこの若者たちはとてもキラキラして見えました。

特に妻は底抜けに明るい性格で、気が短くて堅物の自分とは正反対の性格で、あっという間に好きになってしまい、3度目の告白でようやく交際がスタートしたのです。

 

今までのジェットコースターのような人生の中、ずっと坂道を転がり続け、いつの間にか根暗になってしまっていた私は、底抜けに明るい妻を見て、何故こんなに苦しみながら音楽活動をしているのかと思い始めます。

 

そして趣味で始めていた写真撮影が、この頃からハイペースになります。一人でカメラを持って街に出かけ、気の向くままに写真を撮り、加工する。

音楽活動でのストレスを、趣味の写真に向けるような日々が続く中、妻と結婚する事を決意します。

 

しかしその時はまだ掛け持ちフリーターのバンドマンだったのです。

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