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大阪生まれの不器用男が北海道で写真を撮影する何故

【My Story】

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episode:6 写真家への転身

 

籍を入れたのが2006年27歳の時でした。翌年の2007年に結婚式する事になったのですが、さすがにこのままフリータ―のバンドマンではまずいと思うようになり、その時のバンドを脱退する事になります。

ですがまだミュージシャンとしての道が残るようにと、スケジュールにある程度余裕が出来る会社に就職します。

その会社は電気工事の施工会社でマンションの竣工から完成までの電気配線や電気の土木工事、ビルの電気配線など、今までの音楽の専門知識とは全く関係のない仕事です。

 

電気工事の仕事をしながら、趣味の写真は更にエスカレートし、写真をプリントして作品集を作ったり、当時のSNSに投稿したり、出版会社のコンテストに応募したりします。

その中で、当時のSNSのmixiで今週の一枚というコーナーで私の写真が取り上げられることが2度ほどあり、「足跡」という機能で1万人以上からアクセスがあり、コメントは返しきれないほどの量になり、私の中で「あれ?これはどういうことだ・・」となります。

そして出版社のコンテストでも審査員特別賞を受賞する事になります。

 

苦しみながらの音楽の活動で「感動」というワードにこだわり続けてきたにも関わらず、趣味の写真が自分の中でその存在感を増し音楽活動を超えようとしているのです。

14歳からドラムを始め、その時点で14年も音楽活動を続けて来た自分にはすぐにそれを受け入れることが出来ないまま、29歳の時に長女を授かる事になります。

音楽活動をこのまま続けるのか、専門知識を付けるために学び直し、電気工事の会社で別の人生を歩むのか、長女の出産を前に人生の岐路に立たされます。

 

そんな中、「写真の可能性」が頭によぎり、私は当時のあるウェディングフォト専門の会社のホームページを見つけます。

 

そこで私は雷に打たれるような衝撃を受けるのです。そこで表現されていたのは溢れるばかりの躍動する「生命」と「感動」でした。

 

音楽でしか表現できないと思っていた「感動」「生命」「躍動」、そこにはしっかりと写真で表現されていたのです。

その会社は当時としては革新的で、広告撮影などの第一線で活躍するフォトグラファー達が真っ向勝負するウェディングフォトのプロフェッショナル集団でした。

 

今までの私の音楽活動がかすんでしまうような衝撃を今でも忘れる事はありません。

それからは貪るようにウェディングフォトの写真ばかりを見るようになりました。私が悩んでいたミュージシャンへの道と安定した電気工事士への道は考えられないようになり、写真家への転身が頭によぎります。

しかしプロの経験も全くなく、既にフリーランスのヘアメイクアーティストであった妻からは「正気か」と言われる中、その会社に履歴書を送ったのです。

その時点ではまだ長女は誕生しておらず、「かっこいいお父さん」になる事を決意し、今までの趣味の写真を持参し面接に挑み、合格する事になったのです。

 

これは私の人生での大きな転換期であったと言えます。

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