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大阪生まれの不器用男が北海道で写真を撮影する何故

【My Story】

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episode:7 長女の誕生と下積み時代 父親の他界

 

入社後間もなく長女が誕生し、他の社員からはこんな時期に転職など「正気か」と言われるも、当時29歳の私はプロになるにはかなり遅いスタートラインであった為、そんな言葉を気にする余裕もなく、日々仕事の傍ら写真の勉強に励みます。

ウェディングフォト未経験の私は当時ウェディングアルバムの検品や発注などを主に担当する部署に配属され、撮影の勉強は休みの日や仕事が終わってからやる事が多く、忙しく過ごす事になります。

忙しい日々の中、長女の写真を数えきれないほど撮り始め、今まで風景やアート寄りの写真ばかり撮っていた自分の作風が変わり始めます。

 

とにかく年齢的に焦りがあった私は、当時所属していた先輩フリーカメラマン方々に質問魔と言われるほど教えを乞い、時間を見つけては型物と言われる基本のポーズの付け方とライティングの勉強をし、休みの日はカメラを片手に出かける日々。

 

そして和装の型付け、集合写真の並べ方やライティング、ウェディングフォトには覚えることが山の様にあり、日々の業務をこなしながら勉強するにはあまりにも時間がなく、仕事は深夜にまで及ぶ事や徹夜も増え、この頃生まれたての長女を育てる妻には大変な迷惑を掛ける事になってしまいました。

 

そしてその頃、少し前から癌を患っていた父の体調が悪化の一途を辿り、長女が誕生した4か月後に他界します。

思い起こせば父はいつも遠くから私を優しく見守ってくれていて、中学以降めちゃくちゃな人生を送ってきた私に、いつも大事な場面で言葉少なに貴重なアドバイスをくれていました。

 

そしてその後父の遺品の古いカメラを譲り受けます。そのカメラはミノルタの昭和中期の機種で当時は高級品で、当時父は家族の写真を残すために、なけなし給料でそのカメラを購入した事を母より聞きます。

子供の頃に当たり前だと思っていた幼少期のアルバムの写真はそのカメラで撮影されていて、父が家族写真を撮る事が何より好きだった事をその時に初めて知ります。

 

改めて実家にある古いアルバムを開くと、実は私の人生は昔から写真で溢れていたのです。

幼い頃からの写真の数は正に数えきれないくらいの量でした。

 

私が趣味で本格的に写真を始めた時も、父は自分が使っていたデジタル一眼レフを譲ってくれ、その事も写真にのめり込むきっかけにもなっていました。

 

父は几帳面な性格で、デジタルカメラが出始めてからは、家族写真は全て綺麗に年月日場所が記入されたフォルダに分けられていて、今では私がそれを引き継ぎ、自分の家族写真は年月日場所毎ににフォルダ分けし、その数は現在軽く10万枚を超えています。

 

実は私は父に写真家への道を導かれていたのではないかと、そう思うようになったのもこの頃です。

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