大阪生まれの不器用男が北海道で写真を撮影する何故
【My Story】
episode:1 幼少期と音楽との出会い
1979年1月11日、大阪にて生まれた私は、姉一人と両親という4人家族の家庭で育ちました。
幼少期の頃は引っ込み思案で、幼稚園では教室の隅で子供たちが遊んでいるのを冷静に一人で見ているような少し変わった子供でした。
自分の感覚としては、もう一人の自分が子供の殻の中から外を眺めているような、そんなとても不思議な感覚。はしゃぎまわる子供たちを見ながら「何がそんなにおもろいの?」的な・・
小学生になるとその引っ込み思案は解消され、いわゆる普通の子供。毎日外で泥だらけになるまで遊び、土日は野球のクラブチーム。学校の成績も普通よりは良い方で、本当にごく一般的な子供。毎日友達と外で遊び、駄菓子を買い、ゲームをする。今思えばとても幸せな毎日。
小学6年生で同じ大阪の別地域に引っ越しをして、今までの友達と別れを告げ、新しい小学校で新しい生活が始まります。新しい友達ともすぐに馴染み、本当に普通の生活が続きます。
そんな私の生活が一変したのが中学一年生の時でした。
地元でもガラの悪い事で有名な中学校でしたが、ガラの悪さとは別の問題、「いじめ」の被害にあう事になります。
それは入学してからすぐに始まり、体にはあざが出来て傷だらけ、失神ゲームで何度も失神、学級は崩壊していて、成績は一気に下から数えるほどに。
そして部活のバスケ部はとにかく厳しく、同じ年代の人であれば分かるであろう、今やればニュースになるような練習?の日々。炎天下で走り続け失神者続出、そんな毎日。
今までいわゆる普通の子供だった私にとっては、それはまさしく「地獄」でした。
ですが負けん気だけは強かったので、そんな中でも休みなく学校には通います。
中学2年になると、クラス替えがあり「いじめ」がようやくなくなります。部活もそれまでの異常な厳しさもなくなり生活が一旦和らぎます。「地獄」から解放されたのです。
そんな中、姉の彼氏と仲良くなりました。姉の彼は楽器屋さんの店員で、私は楽器屋に通い始めます。私は数ある楽器の中から何故かドラムに興味を持ったのです。
私の両親は島根県出身で、大阪には近くに親戚がおらず、毎年のお年玉の額が少なかったわけですが、私はそのお年玉を全く使わず、4万円を溜めました。当時14歳の私はその4万円で両親には内緒で、音の出ない練習用のドラムセットを買ったのです。
しばらくして突然家に届いたバカでかい荷物に両親は仰天。母親からはめちゃくちゃ怒られたのですが、既成事実を作ってしまった私には馬の耳に念仏で、ドラムの練習に没頭します。
しかしいくら消音とはいえ、今思えば家の中はドラムの振動でかなりうるさかったはずで、家族には沢山迷惑を掛けてしまいました。
中学3年からはヤマハの音楽教室にも通うようになり、本格的にドラムを学び始めます。
中学一年生の時の様な「地獄」からは抜け出し、やっと普通の中学生になれた訳ですが、一旦下がりきってしまった成績はもう戻る事がなく、地元の一番成績が悪い高校を目指すことになります。
しかし、そこを目指した一番大きな理由は、「軽音楽部」があったからでした。